The Origin and The History
服部と服部神社の由来


 

服部[はとり]
【地名】一般的には機(はた)を織ることや、機織りをする人、場所などをいう。山代では現在の8区のあたりをさし、天文21年(1552)、朝倉義景の戦火で焼失する以前は服部神社がここにあったといわれている。一帯には上の宮(うわのみや)、下の宮(しものみや)、大の宮(現在の8区)、仁王門、門の前(現在の10区)、杜南(みやなみ)、八幡など関連する地名も多くあり、往時の服部神社がいかに立派で大きかったことが推測できる。
服部神社由緒 服部神社[はとりじんじゃ]
【神社】神社史には
和銅年間(708714に筑紫国宗像大神(つくしのくに むなかたの おおかみ)(現在の福岡県の宗像神社)の工女が山代へ来て、機織や裁縫の技術を伝え、機織の神の天羽鎚雄神(あめのはづちをのかみ)を祀(まつ)るとある。元は大堰神社(おおひじんじゃ)付近にあり、
貞観16年(874に従五位の位が与えられ、
延喜式明神帳(927にのっている山背郷社(やましろのごうしゃ)と考えられている。花山法皇が北陸を巡行し、参拝したという時代には、たいへん立派だったこともうかがえる。しかし、
天文21年(1552、越前の朝倉義景の戦火にあって社殿が焼失。江戸末期には廃絶されていたが、
明治8年(1875、現在の場所に服部神社を再興。菊理媛神(くくりひめのかみ)をまつる白山神社と合併して郷社(ごうしゃ)となった。
昭和15年(1940に拝殿を新しくし、旧拝殿は解体されて大堰神社に移築。その折の棟札に、文政9の記載があった。
昭和63、萬松園区画整備事業で108段の石段が改修され、
平成3には山代日子命(やましろひこのみこと)を合祀。なお、境内には稲荷社(いなりしゃ)、琴平社(ことひらしゃ)がある。
山代日子命[やましろひこのみこと] 【神】山代温泉の守り神。大国主命(おおくにぬしのみこと)の子供で、古くから神明社(通称山代下社(しもしゃ)、現在の山下家の場所)にまつられていた。「山代」という地名の語源ともいわれる。

(以上、山代温泉開湯1300年記念誌編集委員会発行「やましろ街事典より」)

御神徳
・大國主神
    
┣━━━ 山代日子命(ヤマシロヒコノミコト)若布都主命(ワカフツヌシノミコト)
・八野若日女命

山代志 武田友海 著(嘉永七年 西暦1854年 神明社記二日、天下ヲ造り玉フ大名持ノ命ノ御子山代日子命坐セリ。故ニ山代ト云。神明山三社ニ則山代日子命ヲ祭レリ、御子社ト云。
 温泉源ハ神明社地ニアリ、樋ヲ土中ニウズミソノ樋ヲモツテ泉ヲ家々ニ引、毎家湯槽ヲ作ル或一或ニ
(二者ハ昔時一家潰シニ槽ニスルナリ。古ハ二十有四家アリ。)大抵槽深ニ尺有余、広六尺斗大小ノ異同アリ(大壺小壺ノ御定アリ。今ハ分カリカタシ。)


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服部神社
HATORI JINJA

石川県加賀市山代温泉四区