職人のまち加賀

スポット/加賀の九谷焼を構築した名窯「青泉窯」にフォーカス!

スポット/加賀の九谷焼を構築した名窯「青泉窯」にフォーカス!

【2021年6月2日取材】

―まずはじめに、青泉窯のはじまりについて

 大聖寺藩窯は松山窯で従事した北出宇与門氏が明治元年、現在の加賀市栄谷町に開いた窯は、当時「北出窯」という窯名でしたが、昭和11年(1936)に彼の地を訪れた富本憲吉によって、「青泉窯」と名づけられました。
 その後、「青泉窯」は九谷焼の一窯元から大きく変貌。富本と親交があった北出塔次郎氏は、草花、動物、人物等のテーマを新たな視点から解釈し、その表現の為に、伝統的な九谷焼の絵付けをベースに独自の技法を探求。この探求の姿勢は、塔次郎氏の後を継いだ不二雄氏によりさらに押し進められ、塔次郎氏とは異なる作風は、高い評価を得ました。

―青泉窯の現在

 2014年に不二雄氏が94歳で他界し、跡を継いだのが博嗣氏です。しかし、残念ながら博嗣氏が体調を崩されてから今日に至るまで、青泉窯は休止状態が続いています。                         

 そこで加賀九谷陶磁器協同組合は、加賀市などに協力を仰ぎ、2018年に「青泉窯再生プロジェクト」を設立しました。新しい九谷焼への挑戦が始まった場として極めて意義のある名窯 青泉窯を、これまでの伝統と歴史を触感できる若手人材育成の場として、また、九谷焼や現代の陶芸文化の新しい発信地として再生するために活動を続けています。

青泉窯の敷地内に残る作業場
青泉窯再生プロジェクトで㈱フォルクに依頼して製作してもらった青泉窯再生後の構想模型。(写真左/博嗣氏(写真中央)加賀九谷陶磁協同組合の小村専務)

―再生のきっかけ(流れ)

-2017年3月 山本理事長来訪(登り窯利用、若手後継者の育成、観光施設、青泉窯の重要性について協議)

-2018年2月 加賀陶磁器協同組合が加賀市に働きかけて実現した「人材育成・青泉窯再生プロジェクト」の補助金  を活用し、フォルクの三嶋氏によるワークショップを開催。

-2019年2月 第2回目のワークショップ/「青泉窯と九谷の未来をみんなで考える」を開催し、アイデア(活用法)出しが行われる。

-2019年6月 第3回目のワークショップ/「青泉窯と栄谷町をあるく」を開催し基本構想をまとめる。

-2019年8月 第4回目のワークショップは中止。フォルクが模型を完成させた。

(コロナ禍で表立った活動は自粛)

-2020年11月 型を使った白素地を若手5人が中心となって修繕・制作を開始。

-2021年6月 阪急うめだ本店で「“九谷焼”未来に向けて~名窯 青泉窯 再生プロジェクト」を開催。

 白地50種類ほど(1点1~3万)で販売。現在に至る。

このように、加賀九谷陶磁器組合では、再生プロジェクトを推進しています。

では、この青泉窯は一体どんなものが残っているのか、エリアごとに箇条書きでご紹介していきます!

↓↓↓

―登り窯について(メモ)

青泉窯に残る登り窯

・古すぎて火を入れたら天井が崩れる恐れがあり、再生できない。

・昭和24年に登り窯完成。登り窯は横から3箇所器を入れることができる

・昔は栄谷町の別の場所に窯があったが、登り窯を炊くと煙が出て町内に迷惑をかけるため塔次郎の時代にこの場所へ移住。

・磁器をこの窯で焼く場合、灰をかぶると色が変わってしまう。匣で蓋をして焼く手間がかかる。

・最近では(不二雄時代含む)、電気窯を満杯にして年に2~3回焼いている。

―建物、かつて栄えていた頃のこと(メモ)

かつて、絵付けをしていた場所

・催事用の大物を作る場合は粘土から違うため、工房を分けていた。

・初代の頃は約30人が働いていた。村人は「北出に働きに行くか、撚糸に行くか」の二手に分かれるほど栄えていた。

・素地作り、絵付け場(4人)、窯場に最盛期には毎日60人程が出入り。

・かつて窯元の裏には駅があり、完成した器を乗せて運んでいたそう。

・山代方面はカタクリ群落くらいまで線路跡(轍のみ)が続いているが、粟津方面はプレカット工場ができたためそこまでしか続いていない。

・現在は、町内の方々が線路跡地を草刈りしてくれている。しかし、その周りの林は町内色んな人の管理に細分されており、手入れされていないエリアも。

―型について(メモ)

型打ち技法

・初代が明治元年に型作りを初め、現在は数百点以上残っているが、欠損しているものが多い。(理事長いわく、宝の山)

・能美市は絵付け→転写、素地→機械生産が多いが、加賀の九谷焼は作家が絵付けしろくろをひくスタイルが主流。型打ち製法は本来、量産のためにできたものとされるが、高い技術が必要で、現在できる人は6~7人しかいない。→大量生産不可→若手育成が必要。

・型打ちしても磁器は歪みが許されない。土の柔らかさ、乾燥具合を見極める技術の育成が大事。

以上のように、名窯 青泉窯は魅力がたくさん残っている場所です。これから整備されてより多くの方に知ってもらえるよう、また、若手後継者育成の場所としても栄えていくことを期待します。

青泉窯の敷地の裏山には、なんと北陸鉄道河南線の線路と駅舎の跡が!!

加賀商工会議所のマスコットキャラクター商子ちゃんが伝える、

「PLUS ONE!」情報のコーナーです☆

北出さんの案内のもと裏山をのぼると、当時窯で作った九谷焼を鉄道で運んでいたという線路の跡がありました!

それだけ当時は栄えていたということですねぇ。

なかなか興味深いので、続編の情報が入り次第またリンクを張りますね♪

ー取材メモー

青泉窯

住所/石川県加賀市栄谷町ヌ30

電話番号/0761-76-0701

最寄り駅/JR動橋駅から車で15分程

駐車場/有

※敷地内は居住エリアもあるため、見学希望の場合は要予約